羊はもともと日本には生息しておらず、国内で飼育されるようになったのは明治時代になってからのことです。
ただ、歴史的に日本は古くから中国大陸との交流があったので、干支や時間・方角を示す「未(ひつじ)」だったり、羊を含む言葉だったり、と羊にまつわる文化も少なからず入ってきていました。
それでは、国内に羊が飼育され定着するまで、日本人は羊をどのようなイメージで捉えていたのでしょうか?2018年に公開された奈良県立橿原考古学研究所の論文をもとに振り返ってみます。
日本最古の羊の絵は弥生時代?
3世紀末に中国で書かれた『三国志』の「魏志倭人伝」には、当時の日本(倭)に羊がいないということが記されています。
一方、現時点で日本最古の羊の絵の可能性があるのが、弥生時代のものとされる鳥取県青谷上寺地遺跡から出土した線刻画です。
※鳥取県ホームページより引用
右側の2匹の動物には、頭部に輪がついています。これが羊に特徴的な巻き角ではないかと言われています。確かに巻き角のように見えますし、他の動物に当てはめにくい形状なので羊の可能性は十分ありそうです。
弥生時代には中国大陸からの渡来人も多かったので、羊のことを知っている当時の渡来人が描いたのかもしれませんね。
意外と「羊」の理解度が高かった飛鳥・奈良時代
日本に羊が初めてやってきたのは推古天皇の時代の599年のことで、『日本書紀』に記述があります。ただし、あくまで百済からの貢物だったため、羊が国内に定着することはなく、実際には一部の人しか目にする機会はなかったと考えられます。
しかし、飛鳥・奈良時代は「羊」への理解度が高かったようで、この時代に制作された羊をかたどったすずり(羊形硯)が平城宮をはじめ各地で出土しています。
※奈良文化財研究所より引用
巻き角の形など、羊の特徴をよく捉えています。ただ、目の位置はおかしいため、横からの二次元の図などを参照して制作されたのかもしれません。
平安時代から失われた羊のイメージ…江戸時代までヤギとの混同が続く
ところが、平安時代中期以降になると奈良時代までの羊のイメージが薄れ、真っ直ぐの角にアゴヒゲがついた「羊」の絵が描かれるようになりました。さながらヤギです。
もしかすると、遣唐使の廃止で国風文化が栄える一方で、中国大陸から得ていた「羊」の記憶が薄れていったのかもしれません。
この状態は江戸時代まで続きます。こちらは江戸時代前期の羊の絵です。
※『訓蒙図彙』12巻、国立国会図書館デジタルコレクションより引用
しっかりアゴヒゲがついていて角も巻き角にはなってませんね。江戸時代に描かれた中には羊のイメージに近いものもあったのですが、少なくともヤギと混同されていた状態は長らく続くことになります。
今の私達には羊はもちろん馴染み深い存在ですし、昔から未(ひつじ)年などもあるので、このように長い間「羊」のイメージが定まっていなかったというのは興味深いですね。
参考:「奈良時代のヒツジの造形と日本史上の羊」(奈良県立橿原考古学研究所紀要『考古学論攷』第41号)廣岡孝信、2018年